2022.07.17

011 安倍元首相殺害で考える、これからの市民の社会参画

7月8日(金)午前11時半頃、奈良市で選挙応援中の安倍晋三元首相が殺害されました。安倍元首相のご冥福を心からお祈り申しあげると共に、安倍昭恵夫人をはじめご家族の皆様に謹んで哀悼の意を表します。いかなる状況にせよ、人の命を奪い、市民の政治的自由・権利を妨げる、断じて許されない卑劣な行為です。

安倍さん(親しみをもって、敢えて「さん付け」で呼びます)は、私と同じ1954年生まれです。同じ時代を生きてきた者として共感する部分もありました。幼少期に、祖父である岸信介総理(当時)の官邸から、「安保反対」のデモ隊の声を聴いた記憶は強烈だったと語っており、私もその光景を想像できます。また、私自身が2001年から民主党の参議院議員として活動した際には、予算委員会で安倍さんに質問し、いくつかの場面で同席したことがありました。その安倍さんが殺害されたことは、党派や主義主張を超えて、大変な衝撃でした。

安倍元首相殺害は、日本社会が迎えた「混迷の時代」の象徴的な出来事だと私は思います。思い通りにいかないことを、話し合うこともなく、知恵を絞ることもせず、社会のルールを無視して力ずくで通そうとする。殺害という暴力には、さまよえる日本社会の深い闇が透けて見えるのです。

戦後、欧米に「追いつき追い越せ」を掲げた日本では、効率の良い行政システムを目指す官僚と、多くの2世、3世議員が担う与党とのもたれあい政治が長く続きました。結果として、「政策実現は官僚と政治家に任せておけばいい」という意識が浸透し、市民は政治から遠ざかりました。経済活動に邁進した国民が経済大国ニッポンを築くという「一定の成果」は出たものの、「政治の主体たる市民」という共通認識が薄らいでしまったことは、大きな損失といえるのではないでしょうか。

そして今、「追いつき追い越せ」の成長モデルは消え、バブル経済崩壊後の1990年代以降、官僚も政治家も、日本のかじ取りをどうしていいのかわからない状態に陥っています。問題の先送りを繰り返し、他国の後追いの政治が続き、まさに「失われた30年」となりました。

内閣府の若者の意識に関する国際比較(2018年)(末尾にURL)によると、「社会をより良くするため、私は社会における問題の解決に関与したい」という質問に対し、「そう思う」の回答は、韓国で29.9%、アメリカで43.9%、イギリスで32.4%でした。ところが日本は、わずか10.8%。大きなが隔たりがあります。長く続いた戦後の社会システムにより、日本人の社会参画への関心が薄まり、「自分が行動しても変わらない」という、あきらめのような意識を反映したものでしょう。この意識が極まったとき、人間社会のルールを無視した暴力が生み出される隙ができてしまいます。

また、総務省によると、7月10日に投開票された参議院選挙の、18歳と19歳の投票率(選挙区)の速報値は34.49%でした。全体の投票率の52.05%を約18ポイント下回っています。政治や選挙への関心を深めようと努力する若者たちの姿も報道されましたが、若者たちが「変革の手段」としての政治に期待や関心を持てないことを象徴する数値といえるのではないでしょうか。

色々な課題を抱え、経済的にも成長鈍化の時代にある今、日本に暮らすわたしたちに必要なのは、一人ひとりが社会を変え得る当事者になるんだ、という意識を取り戻すことです。

そこでTHINK Lobbyは、社会変革に関わろうとする市民が自由に議論に参加するうえで、その参考となるような調査・研究活動や、また、そのような市民の議論を集約した声をもとに政策提言をおこなう活動をしています。わたしたち一人ひとりが当事者として、社会変革に関わっている実感が持てるよう、みなさんの諸活動を後押しするのがTHINK Lobbyの活動の目的だと考えています。

すべての人びとが取り残されない社会の実現のために、人びとが自由に集い、語り合い、行動することができる市民社会スペースを大切に守り育むこと。それがJANICがTHINK Lobbyを運営する上で大切にしている価値であり、私自身の志でもあります。安倍さんの訃報に接し、改めてその思いを強くしているところです。

(ウィークリーコラムは個人の見解に基づく記事であり、THINK Lobbyの見解を示すものではありません)