2022.08.16

015 カレンダー・ジャーナリズムを超えて

「カレンダー・ジャーナリズム」という言葉がある。

大きな出来事、災害や事故から「○○年たった」という視点の報道である。社会に衝撃を与え、あるいは社会そのものを変えてしまうような出来事、人の生命を理不尽な形で奪った悲劇。「忘れてはならぬ」と誓ったはずの事柄も、多くの場合、当事者以外は、やがて日常の中に埋没させていく。報道者とて同じだ。「忘れてはならぬ」と叫んだものの、「その日」が来るまで掘り起こすこともなく、過去の手帳の中に埋もれさせていることも多い。

だからカレンダー・ジャーナリズムは、陳腐な「思い出機能」でしかない、という見方もできる。塗り絵のように同じ下書きがあり、そこに毎年少しずつ違う色がついているような感覚に陥る。

8月は、カレンダー・ジャーナリズム満載の月だ。広島・長崎、終戦の日。そして、日航機墜落。記者経験者として自嘲気味に言えば、その節目がキリの良い年、30年とか50年とか、になれば、より大きな特集が組まれたりする。

でも、今年の8月ジャーナリズムは、いつもと違うと思った。伝えられる内容が違うというよりも、受け止める側が明らかにこれまでとは違う環境に置かれている。今年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、核使用という選択肢を現実的な課題として世界に突きつけた。ウクライナ情勢とともに、深まる米中対立はグローバルオーダーの再構築を促し、台湾海峡がその象徴となりつつある。

国内に目を向ければ、7月の安倍元首相殺害事件をきっかけに、国境を越えた政治と宗教、貧困と暴力といった数々の社会問題が、パンドラの箱を開けたかのように噴出している。人口減少と少子高齢化により、日本経済を支えてきた安定的で予見可能な日本人の人生設計は、すでに過去のものとなった。

このような環境下で迎える8月、私には「戦後77年」という言葉が空虚に響く。戦後77年、ではなくすでに戦前なのではないか、とさえ思う。そうだとすれば、戦後77年のうち55年を生きてきた自分の責任を改めて考える。戦争を生き抜いた世代が苦労して築きあげた平和と右肩上がりの経済力に甘んじてきただけじゃないか、と若い世代に責められれば言い訳はできない。

来年5月19日から21日、広島で「G7(主要国首脳会議)広島サミット」が開催される。それに合わせ、議長国を務める日本の市民社会の連合体「G7市民社会コアリション2023」が今年5月から始動している。首脳たちの協議をただ傍観するのではなく、市民社会の側から積極的に声を上げ、提言をしていこうという動きだ。【7/8開催】G7広島サミットに向けて:変革の時代における市民社会の提言 G7市民社会コアリション2023設立記念イベント

核保有国を含む各国の首脳たちが、どのように「ヒロシマ」と向き合うか注目されているが、実はこのサミット開催で試されるのは、私たち日本人なのではないか、と思う。おそらく戦後77年で最も「ヒロシマ・ナガサキ」の経験が必要とされる時代が訪れている。その意味を理解し、現代社会における新たな価値を付加し、現実的で実践的な平和構築へと活かさなくてはならない。

来年の8月、「戦後78年」のカレンダー・ジャーナリズムは「塗り絵」を脱しよう。新しいデッサンで、生き生きとした色で、はつらつとした未来図を描きたい。

(ウィークリーコラムは個人の見解に基づく記事であり、THINK Lobbyの見解を示すものではありません)