2022.08.23

016 コロナと顔写真

新型コロナウイルスの感染拡大が始まって2年余りが過ぎた。マスク、リモートワークやソーシャルディスタンスなど、新型コロナと共生するための習慣は私たちの暮らしに定着した。今でこそ、基本的な感染予防策は世界のどこでもおおよそ一緒なのだが、感染拡大が始まったころの考え方や対応策はそれぞれの国や地域で様々であった。

新型コロナの感染拡大が始まったころ、私はカンボジアの首都プノンペンに住んでいた。カンボジアで最初のコロナ感染者が確認されたのは、2020年1月下旬。シアヌークビルを訪れた中国人男性だった。ただ、この時は感染は広がらなかった。その後、市中感染が始まったが、爆発的な感染が始まったのは2021年2月だった。新型コロナに感染した外国人が、入国後の隔離期間であるにもかかわらず、それを無視して外出し、訪れた先で相次いで感染者が確認された。

この時、パンデミックを警戒した保健当局は、「感染者の個人情報の公開」に踏み切った。感染者の氏名や行動を公開し、「接触のあった人はPCR検査を受けるように」と通達するためだ。

保健省が発表した内容は、氏名、住所、感染までの行動などが詳細に記され、さらに顔写真までついていた。この「情報公開」により、感染者の直接の接触者以外にも、彼らが訪れた場所に行った人たちが次々にPCR検査を受け、政府が準備した特設検査会場には長蛇の列ができていた。

感染者を顔写真付きで公開する、という方法にはびっくりした。確かにどこで感染が起きているのかを知る手段ではあるが、公開された本人は誹謗中傷されたり差別されたりしないだろうか、と気になった。

ところが周りのカンボジア人に聞いてみると、そのような問題意識はなかった。「だれがどこで感染したのかを知ることで、自分も警戒できる。重要な情報。差別や批判などしない」と、言う。

なるほど。でも顔写真まで必要なのだろうか。これについては、「かなり親しくてもあだ名で呼んで、本名を知らない場合もある。名前だけ出されても分からない。顔写真があれば、どこのだれか、はっきり分かる」という説明を受けた。なるほど……。私にはまるで「さらし者」にされたかのように見えた感染者情報の公開だが、カンボジア人たちは必要だと考える。それを人権侵害だ、と非難する声はほとんど聞かれなかった。「物差し」は必ずしも一つではないと思わされた。

顔写真つきの感染者情報は、感染者が爆発的に増えると次第になくなったが、感染者が立ち寄った場所の公開はその後も続いた。施設や店舗の名前、住所、何日から何日までの間に感染者が立ち寄ったか、そして店舗の写真。公開されたことでトラブルや問題が発生したという例は聞かなかった。

カンボジア保健省の個人情報公開策が、感染症の拡大抑止という側面で効果的だったのかどうかは、結局その後、全国的なパンデミックとなったので検証できそうにない。ただ、感染症対策と、個人の権利の制限のバランスをどうとるか、という視点で考えた時、そのウエイトの置き方には、多様な考え方があることを身をもって知った出来事だった。

(ウィークリーコラムは個人の見解に基づく記事であり、THINK Lobbyの見解を示すものではありません)