2022.11.21

029 「知らないということ」を、知る

ミャンマーで拘束されていたジャーナリストの久保田徹さんが11月17日、国軍の「恩赦」を受けて解放された。現地からの報道によると、国軍は、外国人を含む5,000人以上を解放するとしている。

ミャンマーでは昨年2021年2月に、国軍がクーデターを起こして実権を握った。民主主義を支持する国民たちは、国軍に対して抗議デモを行うなど抵抗運動を続けているが、国軍の武力による弾圧は続いている。

日経新聞が2022年2月1日に公開した「やまぬ弾圧、消えた村 ミャンマー・クーデターから1年」というサイトをぜひご覧いただきたい。

https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/military-takeover-one-year/

ここに「時系列でみる抗議デモと武力衝突」という地図があり、抗議デモは青い丸、武力衝突・爆発は赤い丸で、どこで起きたのかが記されている。注目すべきは「1日ごと」の動きを見ることができることだ。これを見ると、2021年1月1日から2022年1月14日まで、毎日、ミャンマー国内のどこかでデモや武力衝突が起きていることが分かる。

当然、そのすべてが報道されているわけではない。それどころか、最近の新聞紙面やニュースは、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースに占められ、ミャンマーで日々続く国民の弾圧の現状を知ることは困難になっている。

ミャンマーだけではないだろう。世界のあちこちで、戦争や紛争や弾圧が起きていて、自分の手元に届くニュースはそのほんの一部であることを、改めて思い知らされる。

でも、「全て」を知ることは不可能だ。ならばどうしたらいいか。私は、「『知らないということ』を、知る」ことが、まずは第一歩だと思っている。一つの出来事を知るたびに、その背後にどれだけ自分の知らないことが潜み、あるいは連なっているか、を思う。たった一つの出来事やニュースで、分かったつもりにはならないように心がける。そして目の当たりにした出来事は、なぜ起きたのかを考えてみる。知ろうとする。そうすると、出来事の本質が見えてきて、「そういうことなら、きっとほかの国や地域でも起きているに違いない」という思いに至る。

ミャンマーで、久保田さんは解放された。しかし、ミャンマーの苦悩は続く。7月には国際社会の批判にもかかわらず、民主運動家4人が処刑された。10月下旬には、北部カチン州でコンサート会場が国軍により攻撃され、80名近くが亡くなったと報じられた。タイに本拠を置くミャンマーの人権団体「政治犯支援協会(AAPP)」によると、11月18日までに、弾圧により死亡した国民は2,519人、1万6,275人が逮捕され、今も1万2,962人が拘束されているという。

https://aappb.org/?cat=109

「知らないということ」を、知る。広がる闇の深さや大きさに、おののく時もあるだろう。それでもなお、あきらめずに知ろうとする。考えようとする。何度打ちのめされても。理不尽に命を奪われた人たちの魂に報いるため、あるいは、暗闇にある人々にささやかでも手を差し伸べるためにできることは、それだけなのではないか、と思う。

(ウィークリーコラムは個人の見解に基づく記事であり、THINK Lobbyの見解を示すものではありません)