2022.12.12

032 「絶望」する覚悟はあるか

北京で天安門事件が起きた1989年、私は大学を卒業してアメリカに渡る準備をしていた。留学先には、事件をきっかけに渡米した中国人の学生たちが多くいて、授業ではいつも彼らに圧倒されていた。「アメリカで生き抜くこと」を唯一の選択肢としていた彼らの真剣さに、生ぬるい学生生活を送っていた私は、かなうはずもなかった。

その天安門事件の際に、民主化運動の学生リーダーとして活動し、後に逮捕されて6年間投獄された王丹さんによる講演会が12月4日、明治大学現代中国研究所の主催で開かれた。王丹さんは、1969年生まれの53歳。1998年に米国に亡命し、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得。2022年8月からは台湾国立精華大学客座助理教授に就いた。シンクタンク「対話中国」の所長も担っている。

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講演する王丹さん(左)。右は通訳をした徐行・北海道大学大学院法学研究科准教授

この日王丹さんは、「中国はどこへ行く?――第20回党大会開催を踏まえた変容の行方」という題で講演をした。異例の3期目に突入した習近平政権の「これから」について、経済、社会、政治それぞれの角度から読み解き、分かりやすく伝えてくれた。

そして話題は、反ゼロコロナ「白紙革命」に及んだ。王さんは、「33年前を想起させる出来事」としながらも、2つの市民運動に似ているところと、違うところがある、と指摘した。似ているところは、ともに若い世代が変革の最前線に立ったところだという。

違うところは、「危険の認識」だという。「白紙革命を89年の学生運動の再来と言う人がいるが、そうではない。我々は、どこに危険があるのか分からず、政府軍に包囲されたと聞いても信じられなかった。当時の我々の勇気は無知から来るものだった。共産党の本質を理解していなかった。でも今、最前線に立つ若者たちは、中国共産党があらゆる手段を使うことを理解している。無知ではない。危険を認識した上で、立ち上がる。我々より勇気をもっているということだ」

もうひとつ、王さんが挙げた相違点は、今回の運動は、リーダーが明確にいないことだという。香港の運動で経験したBe Water、明確な組織やリーダーが存在せず、SNSなどでつながりながら運動が展開していく。王さんは「これが将来の中国の運動の典型になるだろう」と、指摘した。

王さんは、「白紙革命は、国と社会、市民に存在した調和のとれた状況が虚像であること」を見せつけている、という。そしてその背景には、中国の若者たちの「あきらめ」が限界に達したことがある、という。「中国の若者の失業率は20%を超えている。向上心を失った若者たちに『寝そべり主義』という言葉がはやったが、そのあきらめがずっと続くはずがない」

「絶望と希望はつながっている。中国の人々が現状に完全に絶望して、初めて希望が始まる。市民側に残された希望は、立ち上がること、闘争のみ、だ」

まず絶望しなければ、真の希望は見えてこない。現状に、まぼろしのような希望を抱き続けている限りは、次の一歩には進めない。王さんの言葉に、そんな覚悟を感じる。自分自身はどうか、と考える。自分が生きる社会の課題に対し、「それでも何とかなるだろう」「まさかそんなことはないだろう」という虚像を作り出してはいないだろうか。絶望は、あきらめでも放置でもない。希望への第一歩である。王さんの言葉に、目が覚める思いがした。

(ウィークリーコラムは個人の見解に基づく記事であり、THINK Lobbyの見解を示すものではありません)