2022.05.17

002 フィリピン・マルコス大統領の誕生で考える 「民主主義とは」

5月9日に投票されたフィリピン大統領選で、故フェルディナンド・マルコス大統領の長男である「ボンボン」・フェルディナンド・マルコス氏が当選した。次点候補にダブルスコアの大差をつけての圧勝だった。

フィリピンの「マルコス大統領」といえば、おそらく50代以上の人には、あの鮮やかな黄色に彩られた「ピープル革命」で国を追われた独裁者が思い浮かぶだろう。故マルコス大統領は、1965年にフィリピン大統領に就任。以後21年にわたって、反政府活動を強権的に封じ込めた。しかし、政敵であるニノイ・アキノ氏が米国から帰国した際に空港で射殺されたことをきっかけに民主化を求める運動が盛り上がり、1986年には、長男のボンボン氏を含む家族とともに米国への亡命を余儀なくされた。

国を追われた独裁者の一族がなぜ、大統領に返り咲いたのか。

専門家が分析をしている中で共通するのは、ドゥテルテ大統領の娘であるサラ・ドゥテルテ氏が、副大統領候補としてボンボン氏とタッグを組んだことだ。サラ氏の父親であるドゥテルテ大統領は、違法薬物取締の名の下、司法手続きを経ないまま警察官らに多くの人が殺害された「麻薬戦争」で国際的に非難を浴びた政治家である。しかし国内でのドゥテルテ大統領の人気は高く、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表でジャーナリストの柴田直治氏によれば、「ドゥテルテ政権の継承」がボンボン・マルコス氏の切り札になったという。

民主主義や人権擁護に逆行するような施策を実施する政治指導者やその親族が、その国の選挙を経て政権を担う例は、フィリピンのみならず、他にもある。

例えば、1991年の内戦終結以降、政権を担い続けるカンボジアのフン・セン首相は、2018年の総選挙直前に、政敵である最大野党を「解党」に追い込み、一党独裁体制を敷いた。欧州連合(EU)はフン・セン政権の人権抑圧と野党弾圧を厳しく非難し、経済制裁に踏み込んだ。しかし2023年の総選挙を控えた今も、フン・セン政権に揺らぎは見えず、さらに首相は自身の長男について、「選挙を通してだが、次の首相就任を支援する」と述べ、事実上の後継指名をした。

こうした現実に直面するたびに、私たちが求める「民主主義」とは何かを深く考えさせられる。フィリピンやカンボジアの例を見て言えることは、例えば民主化を求める人々による革命が、あるいは内戦を終結させた和平条約が、自動的に民主主義を形作るのではない、ということだろう。フィリピンのピープル革命も、カンボジアのパリ和平協定も、「出発点」であり、ゴールではなかった。平和や自由や人権を、常に求め続けなければ時代は逆行する。そうだとすれば民主主義とは、ゴールのない永遠のプロセスのことなのだろうか。フィリピン大統領選を見て、そう感じた。 

※ウィークリーコラムは、時事の話題を民主主義や市民社会の視点で切り出します。なお、このコラムは筆者個人の見解に基づきます。