2022.05.24

003 太陽光発電は、本当に再生可能なエネルギーの優等生なのか


筆者は、4月末にメインの居住地を横浜から八ヶ岳南麓の山梨県北杜市に移しました。八ヶ岳を背にして、南アルプス、富士山、金峰山等が見渡せ、風光明媚な山岳景観は圧巻です。リモートワークを行いながら、週1回程度、東京で勤務しています。自然環境豊かな北杜市ですが、そこで感じる身近な課題について、グローバルな視点で定期的に報告させていただきます。


北杜市は、山梨県の北西部に位置し、年間の日照時間は、日本の平均2000時間に対して、2500時間を超えて日本で1番長く、その長い日照時間を活用し、市としても太陽光発電に力を入れている。

CO₂は地球温暖化の原因の一つであり、排出量の増加が世界中で問題視されているが、太陽光発電は、発電システムとしては、他の再生可能なエネルギー同様、CO₂を排出せず、住宅の屋根や未利用地に設置すれば、土地の有効活用も図れると言われている。

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写真は、家の近くの国道から見える八ヶ岳と、その裾野に広がるメガ太陽光発電所の光景である。環境に優しいはずの太陽光発電なのだが、美しい自然環境と、この人工物は不釣り合いである。いたるところで、山林を切り開き、大規模な農地を利用し、太陽発電所が設置されている。太陽光発電所の設置をめぐって地元住民の反対活動も起きている。個人の家にも、市が補助金を支給することもあり、ソーラーパネルを設置している家屋が多い。私の散歩コースにも、太陽光の発電所があり、家からも、冬場は落葉して木々の間から大規模なソーラーパネルが見えるほどの状況だ。

発電時にCO₂を出さない太陽光発電なのだが、CO₂を吸収してくれるはずの森林を皆伐して太陽光パネルを設置すれば、吸収源を消滅させることになり、温暖化対策とは矛盾してはいないだろうか。のどかな田園風景も失われつつある。

また山の斜面や丘陵地帯にソーラーパネルを設置することで、山の保水力が減衰し、豪雨の際は水がそのまま流れて、土砂崩れを引き起こす危険性も高くなる。

これらの太陽光パネルは、シリコン半導体の集積体であるが、シリコンの生産シェアの7割以上が中国産で、その半分程度がウイグル自治区と言われており、強制労働の疑いがあるとして、入手が難しくなり、価格も上昇している。日本も、アメリカ同様に、中国ウイグル地区からのシリコンを輸入停止にすべきとの声もある。

また太陽光パネルの寿命は20年から30年と言われているが、この大規模なソーラーパネルの寿命が到来した時に、適切に廃棄されるのか、廃棄物として放置されはしないか、住民の一人として心配である。

私も電気なしでは生活できない。北杜市の家でも、テレビ、冷蔵庫、室内灯、携帯電話、パソコン、湯沸かしポット、オーブントースター、換気扇等、電気なしでの生活は考えられない。部屋中、電源コードだらけだ。

ここまで書くと、エネルギーに依存しているにもかかわらず、私は自分の住んでいる家の周辺には太陽光発電所は設置して欲しくないと思われたとしても仕方がない。事実、そういう心境の側面も否定できない。

再生可能なエネルギーといっても、程度の差はあれ、水力発電にせよ、風力発電にせよ、全く環境に悪影響を与えず、コストフリーなエネルギーはないのである。自分は電気自動車に乗っているので、環境に配慮した生活を送っていると、得意げに語る人がいるが、例えば、エネルギー源のリチウム電池に必要なコバルトなり、リチウムが海外でどのように採掘されているのか、電気自動車の製造過程でどれだけのCO₂が排出されているのか、リチウム電池がどのように廃棄されるのか等に思いを致す必要がある。

要は、できる限り、将来世代に影響を与えず、現在の世代の欲求も満足させるようなエネルギーは何なのか、人びとの議論と選択によってエネルギー開発と利用を進めるしかない。持続可能な開発目標(SDGs)のように、経済成長、社会的包摂、環境保全の観点で、個人と社会の福祉のために、必要な要因としてその調和を図ることしかないのではないか。

※ウィークリーコラムは、時事の話題を民主主義や市民社会の視点で切り出します。なお、このコラムは筆者個人の見解に基づきます。