2022.06.21

007 「編集長、それは毒です」

私はカンボジアで、雑誌を作っていた。日本語のフリーペーパーで、現地に住む日本人や日本語を話す人々のための「生活情報誌」で、日本語誌ではあるが、カンボジアのスタッフと一緒に、コンテンツを考えていた。「カンボジアのことは、カンボジアの人たちに教えてもらおう」。そんな気持ちからだった。

雑誌を作り始めて間もないある日のこと。編集会議で、「フルーツジャムを特集しよう」ということを決めた。カンボジアには、おいしい果物がたくさんある。例えばマンゴー。日本では高価な南国の果物だが、現地では旬になると、まさに「飽きるほど」いただく。あちらからもこちらからも、「庭のマンゴーが実りまして」と、おすそ分けをいただくのでほぼ買ったことがない。ライチ―やロンガン、スイカやドラゴンフルーツ、ジャックフルーツも同様だ。

「たくさんいただきすぎて余ってしまったら」。雑誌ではそんな場面を想定して、日本ではめったに見ない珍しいフルーツのジャムを作って試食してみることにした。編集会議では、試作に使う果物を数種類選び、材料を書き出し、簡単なレシピを作った。あとはレシピに従って調理し、その過程を写真で撮影し、試食をして原稿を書く。みんなでそんな手順を打合せた。

マンゴー、ジャックフルーツ、マンゴスチン、ライチ―――次々に砂糖と一緒に煮詰めて、すべてのジャムが出そろった。さて、試食だ。

ところが、カンボジアのスタッフを見ていると、なぜかマンゴスチンのジャムだけだれも食べない。相当味が悪いのだろうか、と思って食べてみたが、そんなにひどくはない。「どうして食べないの?」と聞くと、想定外の答えが返ってきた。

「編集長、それは毒です」

何のことかと聞いてみると、いわゆる「食べ合わせ」だった。マンゴスチンと砂糖は食べ合わせが悪いと言われているという。カンボジア人スタッフは「聞いた話によると」と、あれこれ話し始めた。「近所のおじさんが、マンゴスチンと砂糖を食べて病院に運ばれた」だの、「出血して死んでしまうらしい」だの。

私は唖然として、みんなの話を聞いていた。科学的根拠があるのか、とか、本当に目撃した情報なのか、とか、疑問はいろいろとわいてきたが、そんなことよりもまずみんなに聞かねばならない。

「なんで、編集会議で黙っていたの? これが毒だということを」

すると、スタッフたちは答えた。「あなたがボスだからです。ボスの言うことには逆らってはいけない」

カンボジアの若者たちは、小さい時から親や学校の先生に「従う」ことをしつけられる。年長者に逆らってはいけない、組織の和を乱してはいけない、という意識は、時に日本人よりも頑なだったりする。カンボジア人のスタッフたちが、マンゴスチン・ジャムの作り方を喜々として語る私に「それは毒です」と言えなかったのも、「目上の人には逆らわない」「議論をしない」という傾向ゆえだった。

「しかしそれでは、私たちは世の中に『毒』の作り方を発信することになるのよ。たとえ目上の人であっても、違うと思ったら意見を言わなくっちゃだめだよ」。私は、彼らに「言わないこと」の危険性を理解して欲しいと思い、かなり厳しくそう言って反省を促した。

実はこの話、もう12年も前のことである。カンボジアはその間、「低所得国」から「低位中所得国」への仲間入りを果たし、プノンペンには何カ所も「スタバ」ができた。「それは毒です」と言えなかった若者たちは、父となり母となり、このカンボジアの経済成長を支える立派な大人世代になった。

それでも私は、今もカンボジアに当時の彼らの残像を見るのだ。一党独裁、強引な野党勢力の排除、SNSを利用した言論監視。カンボジアの市民社会は、さまざまな課題を抱えている。彼らはいつ、「それは違う」と言えるのだろうか。

(ウィークリーコラムは個人の見解に基づく記事であり、THINK Lobbyの見解を示すものではありません)