2022.09.13

019 「生きるⅣ」が伝えること

カンボジア人のアーティストであるキム・ハクさんが、日本で写真と文章による作品展「生きるⅣ」を開いている。キム・ハクさんの作品は、1970年代のポル・ポト時代、そしてカンボジア内戦により国外に逃れた人々の持ち物を記録することで、その人々の個人史、あるいはその背景にある現代史を浮き彫りにしようというものだ。

キム・ハクさんは、ポル・ポト時代が終わったものの、そのままカンボジアが内戦へと突入していた1981年に生まれた。彼の作品には、読み込まれた書籍や、カンボジアの伝統衣装、昔の歌のカセットテープの山などが映る。彼は自身のアートについてこう語る。

「クメール・ルージュの戦争から40年経ち、当時を知る人々も高齢になり、残された時間も少なくなってきました。戦争を体験した証人が記録されないまま亡くなってしまえば、その記憶は失われてしまいます。過去から学ばなければ私たちは過ちを繰り返すことになり、これはカンボジア人だけでなく、全人類にとって重要なことだと考えます」

ポル・ポト時代や、内戦の混乱で祖国を失うということ。これは私を含めた「戦後生まれの」日本人にはなかなか体験がなく、理解が難しい。着の身着のままで逃げた人々が、ようやく持ちだしたものは、すなわち、彼らがぎりぎりの暮らしの中でも「手放さなかったものたち」だ。キム・ハクさんは、その「ものたち」に潜む物語を写真や文章で表現している。

キム・ハクさんの作品をオンラインで見たが、その中にはカンボジアの伝統的な布地があった。濃い臙脂色が典型的で、日本の絣模様のように柄が織り込まれている。これを見て、カンボジア出会ったクメール織物の最高峰といわれる布地「ピダン」を思い出した。

「ピダン」は身に着ける布ではなく、寺院などに奉納されるために織られる。その絵柄は、仏教の説話や自然界、あるいは人間界などさまざまだが、目に見えるものだけでなく、目には見えない精神世界のありようを表現するなど、カンボジアの人々の世界観を伺い知ることができる芸術品だ。絹糸を織って布地にしてから絵を描くのではなく、糸を一本一本染めて、それを絵柄に織り上げていくという極めて複雑で高い技術を必要とする織物だ。複雑な絵柄だと、一枚を仕上げるのに何カ月もかかるという。だからこそ、お寺に奉納したり、結婚式やお葬式に飾ったりする貴重品といわれる。

カンボジアで暮らしていた時、こんな話を聞いた。

ピダンはかつて、死が近い病人の頭上に掲げられたという。仰向けに寝た病人の真上に、布地を飾る。そこには美しい木々が伸び、花が咲き誇り、鳥が遊び、魚が泳ぐ。穏やかで優しい生命本来のありようを思い起こさせる絵柄だ。病人は心を落ち着かせ、やがてこれから行く世界もこんな風ではないかと思い描く。

ピダンは、人間と神仏の世界をつなぐ役割を果たしているのだ、と聞いた。死の間際、少しでも恐怖や痛みを和らげようというカンボジアの人々の優しさが伝わる。

キム・ハクさんの展示会は東京では終了したが、横浜では9月25日まで、横浜市中区の「高架下スタジオSITE Aギャラリー」で開催されている。「ピダン」は今回のアート作品には含まれていないが、カンボジアの人々と共に歩んできた多くのものたちが現代史を伝える。9月23日にはトークショーも開かれる。詳しくはこちらへ。

キム・ハク「生きるⅣ」関連情報

https://koganecho.net/event/kimhakaliveiv

(ウィークリーコラムは個人の見解に基づく記事であり、THINK Lobbyの見解を示すものではありません)