SHARE

2023年08月08日(火)

【コラム】この声を一票に託せない  東南アジアに広がる「民主主義の危機」

木村 文

●カンボジアの総選挙と首相交代

カンボジアのシハモニ国王は、現在のフン・セン首相の長男であるフン・マネット氏の次期首相指名を承認し、8月7日、その勅令が公表された。首相就任には、7月23日の国民議会総選挙(定数125)で選ばれた議員による新議会で承認される必要があり、新議会は8月22日に開催される予定だ。
フン・セン首相は38年間にわたり首相の座に就き続けた。内戦終結後の復興と安定、経済発展に功績がある一方、反対勢力を排除する手法は強権的であり、排除の対象は敵対する政治家のみならず、人権活動家などにも及んだ。
その「フン・セン時代」がついに終わるのだろうか。答えは否、であろう。フン・セン首相は退任後も政治家を引退するわけではなく、与党・カンボジア人民党の党首は継続する。また、王室の最高枢密院議長に就き、いずれは上院議長にも就く見込みといわれる。首相本人は、「新しい首相のかじ取りに口出しはしない」と言いつつも、事実上の院政が敷かれるということだ。
それがカンボジア国民の民意であるかどうか。それを推し量ることが困難なのが、カンボジアの抱える課題の一つだ。たとえば7月23日に実施された総選挙。125議席のうち、与党・人民党が120議席を獲得、王党派のフンシンペック党が5議席を獲得して確定した。投票率は84%と、日本と比べると驚くほど高い。
この結果から民意を推し量るには、数字には表れない声を聞かなければならない。総選挙には18政党が参加した。複数政党による議会民主制は担保されている。しかし問題は中身だ。政党登録の際に、最大野党のキャンドルライト党は「書類の不備」で登録できず、選挙に参加することが認められなかった。同党は2017年に解党させられた当時の最大野党・カンボジア救国党の流れをくむ政党だ。同党が参加できないことで、人民党に対抗して全国的に候補者を擁立することができる力量を持つ野党が国民の選択肢から消滅した。

●選択肢奪われた国民

選択肢を奪われたのなら、投票に行かなければいい、と思うかもしれない。フン・セン政権はここにも手を打っており、投票に行かなければ立候補権もはく奪するなど選挙法を改正した。それ以上に、同調圧力が強いカンボジアの共同体では、投票に行かないことは野党支持と見られ、いやがらせの対象になりかねない。投票に行くと指を紫のインクで染めることになっており、投票が済んだか済まないかは一目瞭然だ。
唯一の抵抗は「無効票」かもしれない。投票用紙に大きくバツを書くなど投票を無効とすることで抵抗を示す。2013年の総選挙では1%台だった無効票率は、2018年には8%にまで増加し、今回の選挙でも5%を上回り、第2党となったフンシンペック党の得票率とほぼ同率だった。無効票が「反与党」の受け皿になっているという見方は根強い。
「選挙により民意を政治に反映させること」が民主主義の一つの特徴であるとするならば、現在のカンボジアでは、民主主義は危機に直面している。事実上の「世襲」ともいえるフン・マネット氏の首相指名も、選挙前に正式に国民に説明されたことではなかった。フン・セン首相は、「長男が次期首相にふさわしい」とは述べていたが、「選挙後に首相を辞任する」とは明言していなかった。

●タイ、漂う民意

同様に選挙を通じて民意が政治に反映されない状況に陥ったのが、隣国タイだ。
タイでは5月に下院総選挙(定数500)が実施され、野党の前進党が第一党となり、勝利した。本来なら、下院の指名投票を経て前進党のピタ党首が首相に就くはずだが、8月上旬の現在も、首相指名投票は行われていない。しかも、最有力候補のピタ党首は、禁じられているメディア株の所有で憲法裁判所により議員資格を一時停止されてしまい、首相への道は閉ざされている。
前進党の躍進は、2014年のクーデター以降続いた国軍あるいは親軍政権への強い反発を示している。しかし、前進党単独では政権をつくることができず、同じ革新系のタイ貢献党などとの連立を模索する必要があった。反国軍では一致する両党も、王室に対する姿勢では立場が異なり、連立はスムーズに成立しなかった。また、首相指名には上院議員250名の支持も必要だが、上院議員は親軍政権を支持しており、全面的な支持を得ることは不可能だ。
10年近く続いた国軍支配の影響により、投票により政治を変えたいと願った人々の声は、こうして宙に浮き、タイ政治は総選挙から3か月近くたった今も、次の指導者を選べないまま迷走している。

2つの国はどちらも、日本とつながりが深い国々だ。歴史的にも、経済的にも、文化的にも、長く深い交流が続いている。ビジネスや観光で訪れたことがある人たちも多いだろう。これらの国々で、「国のかたち」を支える政治が、国民の声を吸い上げないまま虚ろに揺れている。国のかたちが崩壊すれば、ビジネスも観光も影響を受ける。「政治は関係ない」では済まされない状況にあるのだ。
JNIC/THINK Lobbyは、アジアの民主主義や市民社会スペースの現状について、各国の有識者や運動家を招いて語り合うフォーラムを毎年開催している(本年は4月12日に開催済み)。こうしたフォーラムを通じて、表層からは見えない社会的課題を掘り起こして発信したいと考えている。

執筆者プロフィール

木村 文

木村 文

THINK Lobby コミュニケーション・コーディネーター