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2023年03月01日(水)

ピープルパワー革命記念日に想う

木村 文

2月25日、フィリピンは37回目の「ピープルパワー革命」記念日を迎えた。1986年、20年以上にわたり独裁を敷いたフェルディナンド・マルコス大統領(当時)を倒し、暗殺された夫の遺志を継いだコラソン・アキノ大統領を就任させた、フィリピン国民による革命だ。大規模な抗議行動が、マニラのエドゥサ通りなどで広がったことから、「エドゥサ革命」とも呼ばれている。

今年、この記念日は、数奇とも皮肉とも思えるめぐりあわせで、当時のマルコス大統領の息子であるマルコス・ジュニア大統領によって、祝われることになった。2022年6月30日に就任したマルコス現大統領にとって初めて迎える「革命記念日」であり、父親の失脚の日をどう扱うのか、その対応が注目されていた。そして地元からの報道によれば、大統領府は2月24日を休日とし、「ピープルパワー革命記念日の歴史的意義は維持される」との説明もした、という。多くのメディアは、これをもって、マルコス大統領が事実上、記念日の意義を容認した、というとらえ方をしているようだ。

独裁者を倒した37年前の革命は、今もフィリピン国民の誇りだ。かつてフィリピンに住んでいたころ、友人たちと話をしてそう思うことが多かった。しかしその後のフィリピンがたどってきた道を振り返ると、ピープルパワーで手にした「民主主義」が、社会に根付くどころか、さまざまにむしばまれ、痛めつけられているようにすら見えることがあった。
フィリピンの英字紙デイリーインクワイアラーは2月25日、こんな社説を掲載した。「エドゥサ記念日の皮肉」。「1986年以降、私たちは毎年、平和的革命の約束は未完成のままだと学んだ。激動と挑戦の日々は、民主主義と、苦労して勝ち得た自由を守ることは決して完成しないことを私たちに教えてくれた。あの栄光の4日間の幸福感は、一部の人にとって徐々に薄れ、エドサ革命に疑問を持ち、軽んじるようにさえなったのだ」

平和的な革命は、まだ完成の途上にある、というこの記事を読んで、フィリピンの歩みは、どんな社会にとっても教訓になり得ることだと感じた。例えば、2月1日に国軍によるクーデターから2年となったミャンマーはどうだろう。多大な犠牲を払って民主化への道を歩み始めた、とだれもが思った時に、歯車は逆転し始めた。さらに多くの人が命を懸ける戦いは、まだ今も続いている。

そして日本はどうだろう。民主主義や平和や自由や人権。すでに獲得したかにみえるこれらは、これからも私たちの手の中にあり続けるだろうか。当たり前の存在として放置すれば、たちまち腐臭を放つようになるに違いない。民主主義は、生き物だ。生み出し、育て、栄養を与え続けなくてはならない。完成はしないものなのだ、と改めて思った。

(ウィークリーコラムは個人の見解に基づく記事であり、THINK Lobbyの見解を示すものではありません)

 

執筆者プロフィール

木村 文

木村 文

コミュニケーション・コーディネーター